嫌な知らせ

友達から聖路加国際病院で起きた事件について知らせがありました。嫌な出来事です。

一部報道によると病院職員で牧師が引き起こしたとのこと。そして、その牧師は私と同じ日本キリスト教団に所属と言われている。

調べてみたら、正確には無任所教師という身分で、現在は教会での務めにはあたっていない、無所属の教師ということです。牧師という呼称は日本キリスト教団では教会に仕えている担任教師を指していますので、この人は牧師ではありません。世間一般には牧師ということになるのでしょう。

肩書きということでいうと、この方はカタカナ表記の派手で意味不明の肩書きを自称しておられます。スピリチュアルケア・スーパーヴァイザーというのがその一つです。ベッドサイド・カウンセリング(これは内容が良く分かります)というのは聞いたことがありますが、スピリチュアルケアは新しい言葉のように思われます。いっときスピリチュアリティーという語がもてはやされたので、それに関連して生まれたものでしょう。しかし、スピリチュアリティーという語は明確な定義がなされていないのが現状です。スピリチュアルというとなんとなく通じるように思われるかもしれませんが、曖昧な言葉です。しかも、大きな大げさな表現ですがスーパーヴァイザーという身分が何を指すのか分かりません。

わたしには詐欺的と感じられます。誇大広告です。

嫌な事件です。事実関係が明確になって、私たちの教団は自浄作用を高めねばならないと思います。

召命感とは何

最近、改めて考えさせられている。

召命は英語でcalling、ドイツ語でberuf。これらの語に微妙な意味の違いを受けとめる人がいます。

10年ほど前に、ある会合で元日銀総裁のH氏の隣にすわった。ちょうどその頃、日本伝道会というところから伝道パンフレットが出されていて、その1つにH氏の文章が掲載されていた。ご自分の仕事を神からの召しとして受け止めているという内容だったと思う。題は「召命」。H氏にその時パンフレットを読ませていただいたと申し上げたところ、「召命」という題に、あれは私がつけたものではないと、いささか憤慨しているという口調でおっしゃられた。

続きを読む

「聖書学より聖書のほうが大切だ」

神学大学の同級生で、ここ数年、よく電話をくれる友だちがいます。嘆きとぼやきの電話です。いや、失礼。キリスト教界を憂いて、鼓舞する電話です。

若い頃からリベラルな人だったと思うのですが、そして、教団政治でも違う立場でしたが、先日、受話器の先で「聖書学より聖書のほうが大切だ」と力を込めて話していました。聖書の歴史研究を中途半端に取り入れて、あるイデオロギー(解放思想)に傾く一部の人々(彼の周囲にはそういう人が多いようだ)に対する批判です。ほんとうのリベラルはそんなものではない、ということなのでしょう。

聖書学より聖書のほうが大切だ、というのはその通りだと思うのです。わざわざそう言わなければならない現実があるのは、日本では聖書と伝統に根ざして教会(共同体)を形成することが稀薄であったことに由来するのでしょう。そして、世の中の風潮や思想に教会が、私たちが考えている以上に、飲み込まれてしまっているのかもしれません。

がっかりしたことが一つ

平和を求める祈り、が常議員会で可決されたようだ。文面を見て、がっかりしてしまった。これが、教会で共に祈る、教会の祈りだろうかと、目を疑った。

決まり文句の戦争責任告白と、罪の告白が、最初と最後に、短く取り上げられているが、中身は、政治的イシューに引っ張られていて、昨今の政治状況に反応しているだけで、今日の世界が背負っている苦悩や困窮についての洞察も、深い嘆きも、神の義と平和と愛による支配(神の国)への祈求もない。神への賛美もなく、祈りの背後に霊性が感じられない。軽率で、政治的アディテーションにすぎないような祈りだ。

私は、その祈りを共に祈りましょう、とは言えない。紹介することもできない。

昨日で終了

二つのことが終了しました。たぶん。

一つは某テレビ局のお手伝い。昨年末から昨日まで、何度かリハーサルや撮影本番に立ち合いました。なるほど、こうやってテレビドラマは作られていくのか、と初めて知りました。可愛いらしい子役さんから、よく知られた役者さんたちまで、身近にその仕事ぶりを拝見することができました。私はといえば、ほんの少し、間違いがないように注意を払うという気楽なお手伝い。でも、時間はかかりますね。

もう一つは、墓所委員会です。二つの教区が共同で運営する墓所での年二回の墓前礼拝開催と、墓所の管理が仕事です。ながく委員を務めていてくださる方々の支えで、なんとかお役を務めましたが、昨日の、私にとっての最後の委員会は、遅刻をしてしまい大顰蹙でした。失礼しました。最後の仕事は、HPの作成です。たいしたことではありません。すぐに出来上がります。興味があれば開いてください。まだ、何も内容はありませんが・・・・

http://tnboshok.wordpress.com です。

韓国では「異言」が「方言」と翻訳されているとのこと

方言指導と合同教会論に共通性がある、ということをソウルから一時帰国したN宣教師に話したら、韓国語の聖書では「異言」が「方言」と訳されていると教えてくれた。

面白いと思ったので、ちょっと調べてみようかと思っているところです。

方言指導と合同教会形成

直前の投稿の続きです。方言指導の話から、合同教会形成について考えさせられました。

故北森嘉蔵先生は、教派というのは角度の違いから生じている、ということを言われました。どの教派も、まちがいなく教会である。しかし、異なった教派が存在し、時には、対立もする。それは、ある教派は正しく、ある教派は教会として間違っているといううことではなく、福音(その伝達体である聖なる公同の教会)に接する角度の違いだというのです。

言うなれば、教派はそれぞれの方言で福音を共有しているということです。方言の集合、それが合同教会ですが、そこに、豊かさもあり、難しさもあるということでしょう。

自家の信仰理解を主張すると、他の伝統とは争いになると考えがちです。方言の違いが、違いとして残ってしまう。それで、合同教会においては自家方言を主張しないという抑制が働きます。しかし、はたしてそれで豊かな合同教会が形成されるでしょうか。はなはだ疑問です。皆が、自分の方言で発語できなければ、根無し草になってしまい、その信仰は借りものになってしまうのではないでしょうか。

エキュメニカルな議論を意識しつつ、自家の理解を明確に表現することが大切なのかもしれません。自家の方言を、他者に充分に理解してもらえるように、台詞を選ぶ。その互いの努力が合同教会形成には必要なことですね。

宣教委員会

今週の月・火と日本基督教団宣教委員会の今総会期第一回委員会が開かれた。前総会期に引き続き、責任を果たさねばならなくなった。ただし、一総会期6回行ってきた委員会を5回にさせていただいた。

宣教方策に関すること、グローバル化に伴う社会の変化と宣教体制の検討、キリスト教社会事業やキリスト教学校と教会の宣教協力、伝道者の協働とパストラルケアーなどが今総会期の課題となる。もちろん、東日本大震災復興と教会の再建が課題となることは言うまでもない。

委員会構成は、宣教委員7名、常設専門委員会委員長3名、自主活動団体責任者3名である。沖縄、青森、能登から委員会に集う方々がおられる。

求道者会のテキスト

イースターに向けて求道者会を行っている。今回は主の祈りを取り上げ、日本基督教団宣教研究所から出されている「信仰の手引き」をテキストに用いている。

「信仰の手引き」は使いにくいという評判を聞く。使いにくいとは、どういう意味なのかはっきりしないが、確かに使いにくいと思うところもある。昨日は、主の祈りの最初の3つの祈りを取り上げたが、表現の硬さと説明・説得的な言い回しに多少違和感を感じたのと、「御国」についての解説が少ししっくりこなかった。私たちは御国に結ばれているのであるが、その結びつきの在り様についての説明が不十分と感じたのだと思う。

歴史共同研究委員会

2年前から始まった。日本基督教団と在日大韓教会との宣教協約に基づいて設置された。3名ずつ計6名が委員で、それに双方の総幹事が加わる。委員会は年に3,4回開催される。なぜか委員にさせられている。先週の委員会で発表担当の責任を果たした。2度目になる。

内容は、1908年に発行された日本メソヂスト教会の「教義及條令」の紹介。1907年日本におけるメソジスト3派が合同して日本メソヂスト教会が成立し、その第一回総会において制定され、翌1908年に印刷・出版されたのものである。それで、三派合同にいたるメソジスト教会の歴史を概観し、「教義及條令」を紹介して責任を果たした。

日本基督教団も1941年に日本にあるプロテスタント教会が合同して生まれたが、メソジスト教会の歴史もウェスレー以後の分裂を経て合同へと向かう歴史を辿ってきている。教派が合同すると、合同以前の歴史に関しては関心が薄くなる傾向が見られるようだ。それで三派合同にいたるメソジスト諸派の歴史を整理しておくのも意味があると思いまとめてみた。

「教義及條令」については目次を紹介し、内容的な背景を少しお話しした。教義及條令には教会の歴史が映し出され、垣間見られる。日本基督教団信仰告白と教憲・教規も同様であろう。

在日大韓教会は長老主義教会と監理教会(メソジスト)とが合流していると聞いているが、在日大韓教会内の旧メソジストの流れと、韓国監理教会、日本メソヂスト教会との間にどのおうな交流があったのか、そのことを辿ってみる必要があろう。

裁判所の判断

未受洗者への配餐問題で教師委員会より免職戒規を受けている北村牧師が、日本基督教団に対して正教師の地位保全と退職年金の満額支給、そして、慰謝料1000万円の賠償を求めて地裁に訴えていた裁判の判決が出された。
原告の請求をすべて却下し、裁判費用を原告が支払うようにという判決である。被告である日本基督教団の主張が全面的に受け入れられた。
教団から今回の判決についての説明が教団新報でなされることになろう。

宣教論に関すこと

1960年代から1980年代にかけて提出された宣教に関する主張と重要な出来事、という題で原稿を書いた。日本基督教団のことである。紙面の都合で5000字にまとめた。
日本基督教団は1941年に日本における福音主義教会が合同して設立された合同教会である。1950年代に信仰告白が制定されて一つの教団として整えられていった。
教会には聖書(正典)と信仰告白と職制とが必要条件とされているが、それぞれ合同した旧教派の伝統に従って各個教会は存立していたが、信仰告白制定 によって日本基督教団として公同の教会の交わりに入ったのであろ。そして、1960年代から礼拝や宣教を整えるべく種々の作業が始まるのであった。
宣教基本方策、宣教基礎理論が1963年までに作られ、社会活動に関する基本方針が1966年に定められた。それらは半世紀を越えた現在において正式な方策、基礎理論、方針として現存している。もちろん、今もそれらが妥当性を有しているということではない。もっとも、社会活動に関する基本方針は現在でも通用するもので、理解を深め、共有することができたら良かったと思う。
それらが、今もそのまま現存している理由は、1969年に始まった教団紛争のためである。ヘルメットとゲバボウによって象徴される、暴力と威嚇によって、会議が崩壊させられ、ラディカルナな新左翼運動に影響された人々とそれに同調する人々によって教団政治が席巻されたのである。彼らはその思想を教団に持ち込み、奇妙な宣教論を蔓延させた。それは、建設的なものでも、歴史形成的なものでもない、一種のユートピアニズムである。そのために教団は混迷し、立ち往生することに。それが理由である。
そのあたりのことを、もう少し詳しく論述したのでありました。