湯河原二泊三日

二つの会合に出席。
一つは支区の一泊教師会、もう一つは更新伝道会の一泊研修会。後者では講演という名の発題で、「This Holy Mistery 合同メソジスト教会の聖餐式に関する見解」を、慣れないことだが翻訳して、解説を加え、ポイントとなる事柄を提示するということで、 役目を果たさせていただいた。

宿泊した施設では、トリニティーアーツという会社の新入社員研修も行われていた。トリニティーという語が一般に使われるようになったが、キリスト教では、かつて300年もの年月をかけて告白に至った語である。

一泊教師会ではある少人数による聖書の学びのグループについての紹介がなされ、学ぶ機会を与えられんた。聖書テキストに注意深く接近し、かつ、黙想へと至るという試みである。その方法論に共感する部分もあったが、教導的色合いが強いかなという印象を持った。

教会の写真

日本における最初の教会である横浜海岸教会が、デジカメwatchというサイトのNikon Dfレビューのサンプル写真で撮されていた。教会全体の写真ではなく、部分的なものなので、もしかしたら教会の人たちも気付かないかも知れない。

以前に、同じような他機種のレビューで札幌教会が撮されていたが、こちらのほうは誰もがすぐに分かる写真であった。教会というのは絵になるのだろう。

実は、何年か前に季刊誌「太陽」に教会が特集された。2回か3回続いたと記憶している。その第1回で写真を撮ったのは私の親戚で、祖母の葬儀の写真も掲載されていた。先日、その親戚に会った折りに聞いたのだが、私たちが普段使うようなカメラではなく、特別なものを使ったようだ。資材購入に200万円ほどかけたとか。なるほど、良く撮れていた。

今後、全国の教会の写真を撮っていこうかと考えている。伝道用サイト(インターネット伝道会)での教会紹介のために。ただし、普通のカメラで・。

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これは愛媛県との県境に近い高知県の山間部にある町で、須崎教会と近永教会とが協力して開拓伝道を行っている集会所である。2週間ほど前にお訪ねした。この町にはクリスチャンは一人もいないが、ご老人がお一人、求道しておられる。ちなみにカメラはRX100というコンデジ。

Means of Grace

今日、婦人会でお話したテーマだ。今年の主題が「教会と信仰生活」としたので、その第一回にこのテーマを選んだ。

恵みの手段というと、み言葉と礼典と祈り、をすぐに数え上げることができる。ウェストミンスター小教理問答88にあるように、教会の生命線である。そのことを前提にウェスレーの教えた恵みの手段について取り上げた。

ウェスレーは聖餐を重んじたことが知られている。そのことを確認して、ウェスレーの教えた、a, 敬虔の業としての恵みの手段と、b, 慈愛の業としての恵みの手段、についてお話をしたのである。

前者は、信仰から信仰へとすすむ敬虔を養う手立て、後者は、魂の救いを願ってなされる隣人の身体と魂に対する手だて(奉仕)である。信仰生活の豊かさを分かち合うことができたと思う。

歴史共同研究委員会

2年前から始まった。日本基督教団と在日大韓教会との宣教協約に基づいて設置された。3名ずつ計6名が委員で、それに双方の総幹事が加わる。委員会は年に3,4回開催される。なぜか委員にさせられている。先週の委員会で発表担当の責任を果たした。2度目になる。

内容は、1908年に発行された日本メソヂスト教会の「教義及條令」の紹介。1907年日本におけるメソジスト3派が合同して日本メソヂスト教会が成立し、その第一回総会において制定され、翌1908年に印刷・出版されたのものである。それで、三派合同にいたるメソジスト教会の歴史を概観し、「教義及條令」を紹介して責任を果たした。

日本基督教団も1941年に日本にあるプロテスタント教会が合同して生まれたが、メソジスト教会の歴史もウェスレー以後の分裂を経て合同へと向かう歴史を辿ってきている。教派が合同すると、合同以前の歴史に関しては関心が薄くなる傾向が見られるようだ。それで三派合同にいたるメソジスト諸派の歴史を整理しておくのも意味があると思いまとめてみた。

「教義及條令」については目次を紹介し、内容的な背景を少しお話しした。教義及條令には教会の歴史が映し出され、垣間見られる。日本基督教団信仰告白と教憲・教規も同様であろう。

在日大韓教会は長老主義教会と監理教会(メソジスト)とが合流していると聞いているが、在日大韓教会内の旧メソジストの流れと、韓国監理教会、日本メソヂスト教会との間にどのおうな交流があったのか、そのことを辿ってみる必要があろう。

東北ヘルプの二人

先月、東北ヘルプのお二人が訪ねてこられた。東北ヘルプとは福音派の方々がおもに奉仕しておられ、大震災後の救援・復興活動にあたっておられる。

お二人は教団の牧師で、放射能被害対策に力を注いでおられ、希望者に対して農作物などを測定し、適切に対処してもらうようにと働いている。測定結果は対象者のみに知らせ公表はしない。それが東北ヘルプの姿勢のようである。

なんでも、今月、ソウルで福音派のグループで両国教会の交流があるらしく、その話をしにきてくれたのであった。

ナーバスな問題もあり、簡単ではないが、渡韓の目的が達成されるように祈っている。

東京の弱点

日本キリスト教団のこと。
しかも、わたしの小さな経験に基づくだけの話。

ある勉強会に所属していたことがあった。この会は東京と大阪でそれぞれ勉強会を行ってたが、東京には卓越した指導者がおり、その方のお話を聞き、指導を受けるという様子であったが、当時、私が所属していた大阪の会にはそのような方がおらず、ドングリの背比べ。自分たちで考え、頭をひねって、取り組むほかはなかった。その結果、創造的な取り組みができたと思う。

東京にはそれが乏しい。

湯河原で協議会

二つの教団(教派)が毎年行っている宣教協議会に出席した。
伝道がテーマで神学的な講演と大阪釜ヶ崎でのホームレス伝道のケーススタディーがあった。興味深く伺った。
前者も後者も共通していたことは、贖罪信仰の重要性であった。

新しいブログを作る

自分のブログではなくて、所属しているグループのHPである。機関紙を発行しており、35年になろうとしている。過去のものをPDF化して読めるようにという目論見なのだが、けっこう大変な作業である。Wordpress.comを使わせてもらった。やっと2年半分ができた。

倣う

「イエスに倣う」という言葉がある。同名のよく知られた書物がある。敬虔主義の流れにある教派では古典の一つとして今でも読まれているようだ。

最近、この言葉を使って自らの思想を表現している人がいるということを知った。この人は伝統的なキリスト教神学からは離れるという自覚をお持ちのかたである。

さて、倣うとは「手本とする」ということだが、今日のように聖書学の立場から史的イエスを描き出すことが困難な時代に、いったいどのようなイエスを手本とするというのだろうか。

アルバート・シュヴァイツアーが聖書学者でもあったということは牧師の世界ではよく知られていることであるが、彼はかつて「10人の研究者がいれば10人のイエス伝が生まれる」という意味のことを言った。それは、結局は「イエス伝」と言っても研究者の思い描く、その人の思想の反映にすぎないということを述べているのである。

同じように、イエスに倣うといっても、そのイエスは結局は自分の思想の反映であり、手本などと言えるようなものではないのではないか。この方は戒規を受けたのだが、所属する教派に対して、牧師としての身分確認と年金損害賠償を求めて裁判所に民事で訴訟を起こした。自分の身分、自分の年金、その権利を戒規如何にかかわらず主張し、この世の裁判に訴えるというのは、どこにその手本があるのだろうか。

教会創立128年記念礼拝

11月の第三日曜日を教会創立記念主日と定めている。

1883年11月のそのころに、カナダ・メソジスト教会からの宣教師がこの地に伝道よ教育の働きを始め、その最初の礼拝がささげられた。司式者はマクドナルド宣教師。この方は牧師であり医師であられた。

今年の記念主日礼拝は11月20日(日)で「十字架と復活の証人」と題する説教をさせていただいた。

今日は快晴・・・教会はバザー

バザーが11月としてはぽかぽか陽気のもとで行われました。

いろいろな方々が協力してくださいました。教会員のご家族や知人、教会学校の子どもたちとご父兄、有り難うございました。教会員の皆さんもお疲れ様でした。

良い天気だったせいか多くの方々が足を運んでくださいました。手芸品(これが今年も上出来、よいものばかりでした)、手作りケーキ(今年も売り切れで食べそこねました)、雑貨(来場者のお目当てで、多くの方が並んでくださった)、子どもコーナー(わいわいわきわき)、青年会焼きそば(熱い鉄板でやく焼きそば最高)、焼き芋(ご婦人たちに大人気)に綿菓子(子どもの友)、そして食堂(おいしかったと食べた人からの伝言)。楽しかったですね。

 

福音主義教会連合総会で

2年に一度の総会が銀座教会を会場に行われた。日本基督教団は、かつてと比較すると、「伝道する教団の形成」へと大きく前進している。

しかし、合同教会である教団の有り様、宣教論などで、大きく二分されているのも事実であり、また、高齢化が進んでおり、伝道も大きな壁の前に立たされている。取り組むべき課題が多く、難問山積というのが実情である。

どのように道を切り開いていくか、その道筋を模索中である。主の導きを祈り求めなければならない。

福音主義教会連合はオピニオン・リーダーとしての使命を、よりよく、今後も果たしていかなければならない。私は副議長に選出されてしまった。若い指導者たちが育ってきているので世代交代のバトンタッチの役目を負えということだと理解している。

召天者記念礼拝

11月6日(日)は召天者記念礼拝として主日礼拝が守られた。

「天に宝を積むように」という説教をさせていただいた。聖書箇所はルカ福音書18章。

一般には「天に宝を積む」とは、この世で施しなどの善い業を行うと、それは天国の倉庫に宝を積むことになり、それによって神さまに喜んでいただき、天国に自分の場所を確保することができる、と解されているようだ。

しかし、聖書をよく読んでみると、神さまにより頼み、主イエス・キリストの恵みをドーンと受け止めさせていただくことが天に宝を積むことになる、そう教えられていることが分かる。

しかし、それは、決して易しいことではない。