嫌な知らせ

友達から聖路加国際病院で起きた事件について知らせがありました。嫌な出来事です。

一部報道によると病院職員で牧師が引き起こしたとのこと。そして、その牧師は私と同じ日本キリスト教団に所属と言われている。

調べてみたら、正確には無任所教師という身分で、現在は教会での務めにはあたっていない、無所属の教師ということです。牧師という呼称は日本キリスト教団では教会に仕えている担任教師を指していますので、この人は牧師ではありません。世間一般には牧師ということになるのでしょう。

肩書きということでいうと、この方はカタカナ表記の派手で意味不明の肩書きを自称しておられます。スピリチュアルケア・スーパーヴァイザーというのがその一つです。ベッドサイド・カウンセリング(これは内容が良く分かります)というのは聞いたことがありますが、スピリチュアルケアは新しい言葉のように思われます。いっときスピリチュアリティーという語がもてはやされたので、それに関連して生まれたものでしょう。しかし、スピリチュアリティーという語は明確な定義がなされていないのが現状です。スピリチュアルというとなんとなく通じるように思われるかもしれませんが、曖昧な言葉です。しかも、大きな大げさな表現ですがスーパーヴァイザーという身分が何を指すのか分かりません。

わたしには詐欺的と感じられます。誇大広告です。

嫌な事件です。事実関係が明確になって、私たちの教団は自浄作用を高めねばならないと思います。

2018年は

下記の文章を週報に載せていただくようにおねがいしました。


「2018年は」という題でささやかな、しかし真剣な希望を書かせていただきます。
昨年の教会総会の折に日本キリスト教団・教会の教勢の低下と教会の存続に関して悲観的な見通しを述べ、しかし「教勢が落ちていったとしても、主にお仕えすることについては、いよいよ成長していきたい」とお話しさせていただきました。
具体的には、教会をお建てくださる聖霊の働きにあずかり、仕え、共に聖書に聞き、御言葉を分かちために聖書黙想に取り組みたいと申し上げました。
そう申し上げた週に私が脳出血に倒れ、5ヶ月以上も教会を開けることになってしまいました。教会の存続どころか私の生命の見通しが立たないような状況を迎え、皆様にご迷惑をおかけしました。けれども有難いことに、お支えいただき、お祈りくださって、今日に至りました。
「終わり」を自覚しながらも、今日なすべきことを教えられ、主の業に励みたいと願っています。そこで聖書黙想を遅くなりましたが始めたいと思います。最初は水曜日の祈祷会において、そして徐々にその機会が広がっていけばと願っています。
聖書黙想は難しいことは何もありません。その日に与えられた短い聖書箇所を読み、黙読し、自分たちの生活に関連して心に響いた言葉を紹介しあい、最後に祈るというものです。
この聖書黙想を重ねていくことで、聖書が私たちの身近なものとなり、味わい深く聖書に触れることになると確信しています。聖霊の働きと、聖書が心に開かれることを待ちつつご一緒に取り組んでまいりましょう。
1月24日(水)からはじめたいと思います。場所は牧師館を予定しています。宜しくお願いいたします。

「ヘブライ語小史」紹介第4章その2

ダビデとソロモンのもとでの民族の統一に帰せられる(前998ー926年)第一神殿時代の古典ヘブライ語には二つの特徴が見られる。と記して前回は「つづく」としました。

その「つづく」がここでのお話となりますが、そのことと関連してすぐに分裂王国時代(ラビンは「王国時代」とよんでいます。)のヘブライ語へと話が移行していきますので、今回は第4章その2としました。

個性の獲得

その(際立った)特徴の一つはアラム語に似た形を除外したことです。もう一つは前の時代のsha-をさけて一貫して接続詞asherを用いていることです。
いずれも統一と独立を達成したばかりの民族の言語にとって、自分たちの言語を近隣の言語から区別しようとした結果です。前者は周囲の国々の言語として用いられ、またイスラエル諸部族の方言にも浸透していたアラム語と区別しようとした結果であり、後者は自分たちが受け継いだ多様な方言の中から他の言語に見出せない発音、文法、形態あるいは語彙が選び取られた(選択された)事例です。それによって「自分たち」の言語が容易に、またすみやかに同定できる記号としての役目をなすことになったのです。このようにしてヘブライ語の個性が生じた、とラビンは考えています。

文学的優雅さの獲得

王権の制度下に用いられた公用語はおそらく何となく味気のないものであったが、やがてそれが修辞法と伝統的知識の含蓄のある公式化に馴染んでいた祭司たちによって神殿で使用された時、それは文学的な優雅さを獲得した。ことに、神殿の歌い手のために歌詞を書いた作者は、古典ヘブライ語の一般的性格を保持しながら、もちろん前王国時代の現存する詩的伝統を用いた。すでに言及した北部の詩のほかにユダ的詩もあっらであろう。また、ソロモのもとでのカナン国家への完全な統合は、詩人に文学的優雅さを持った言葉を提供し、言葉を紡ぎ出す技能の向上を可能にさせた。ヘブライ語の文体にとって重要なことは、詩の形態、特に対句法を用いた話術が生み出され、この文体がほとんどの預言者に採用されたことである。
預言者的思惟の熱烈さによってかきたてられた修辞法と詩の結合は、古典ヘブライ語をイザヤとエレミヤに見出されるような気品のある表現による伝達手段に変えたのである。

以上があらすじです。ラビンはその後他の言語が古典ヘブライ語に与えた影響について論じています。その中で、預言者アモスとホセアに見られる特徴について言及していますので、それを紹介して次に移りたいと思います。

続く(時間をおいて、ここに書き加えます)

前回については下記をクリックしてください。

「ヘブライ語小史」紹介第4章その1のつづき

なお、いいわけを下記に記していますので、よかったらお読み下さい。

牧師のブログ

 

 

「ヘブライ語小史」紹介第4章その1のつづき

偉大な叙事詩において古典ヘブライ語へといたる端緒が拓かれましたが、その後の推移をラビンはどう見ているのでしょうか。それがここでのテーマです。

その1のつづき

先に記した『偉大な叙事詩』とその詩的言語は、ペリシテ人の脅威に直面したイスラエル諸部族(北諸部族)の統一に役立ち、サウル王の時代を経てダビデ・ソロモンの時代には全イスラエルの共通の言語になっていった。『古典ヘブライ語』の成立である。

つまり以下のような経緯が観察されるとラビンは言います。

南のユダ族出身のダビデは北諸部族に対する力を手中におさめ、南北統一を果たし、エルサレム征服して首都としました。ダビデは全イスラエル部族から選び出した兵士をエルサレムに住まわせ、全ての部族の成員が協力して任務を果たす軍隊を組織しました。ソロモンはエルサレムに神殿を建て、全国から祭司とレビ人を連れてきて神殿に仕えさせたのでした。神殿は巡礼祭および残りの年に行われる個人的な犠牲のためにやって来る全ての地域の人々を魅惑したことでしょう。神殿と宮廷の周辺には、書記、知恵の教師、そして預言者といった知識階級が現れました。。彼らは異なる部族の出身者から構成されていただけでなく、その教えがあらゆる部族に届き、そして全ての者に等しく良く理解されるような仕方で聞かれるようにと配慮したにちがいないのです。以上のようなことに加えて、言語の発展の観点から見て、最も重要なことはソロモンが全土にくまなく文官を置いたことです。そのことによって、あらゆる人々が彼らと接するようになりました。また、強制労働の義務であらゆる地方の人夫たちが彼らの居住地以外で、国の他の地方出身の男たちと一緒に働きました。

つまり、高度に中央集権化された政体は統一された言語を必要としたのです。ラビンは申します。「行政には王国の全ての地域において障害なく理解され、また役人の誰もが速やかに学ぶことができる書き言葉と話し言葉が必要であった。さらに一方では、複雑な行政、強制労働、神殿祭儀そして列王記上10章に述べられている、急速に伸びていく外国との通商などに関連のある多数の新しい概念を、効果的に表現するための申し分なく豊かで、そして採用し得るそれらの言葉がなければならなかった。」。そして、さらに、「この言葉は最初異なる部族出身の人々の接触により、首都特に宮廷において生み出されたものとおもわれる。そしてさらに、首都ならびに宮廷の言語としての威信によって、エルサレムから送り出される役人たちに運ばれて広がっていったと考えられる。」と述べて、ひとたびこの新しい共通の言語が、公式の記録の中で使われ始めると、当然のこととして宮廷の年代記の著者たちにも使われるようになり、したがって一部はこのような年代記からの抜粋に基づいている列王記も、彼らの言語を反映していることは疑い得ない。
この言語の形態がダビデとソロモンのもとでの民族の統一に帰せられる(前998ー926年)第一神殿時代の古典ヘブライ語である。そうラビンは考えています。

つづく。

ラビンはこの言語の際立った特徴を二つあげていますが、しばらくお待ちください。

「ヘブライ語小史」紹介の続き

病のためやむなく中断していた「ヘブライ語小史」の紹介を再開します。

ハイム・ラビン「ヘブライ語小史」(毛利稔勝訳)を読む
第4章 聖書のヘブライ語 その1
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4章には表題のように、聖書の時代におけるヘブライ語の成立と発展、また、その特徴について論じられいます。著者は本文を区切っていませんが、紹介のためにとりあえず、3つに区分することにします。今回はその1ということになります。
取り上げるのは、ヘブライ語(著者は第一神殿建設から王国滅亡・第一神殿の破壊と捕囚に至るまでの期間使われていたと考えられるヘブライ語「古典ヘブライ語」と呼んでいる。)の成り立ちについて論じている部分です。

ペリシテ人の脅威と偉大な叙事詩

エジプトからの脱出とイスラエルの勝利を歌う偉大な叙事詩が所謂士師の時代に誕生し、それがヘブライ語成り立ちの初めであると著者は考えているようです。
士師の時代、後にイスラエルとなる諸部族は山岳地帯に孤立して散在するようになりました。まだ文字をもたなかった時代にどのような言葉を話していたか、正確なところは分からないでしょう。ただ諸部族は分断されており、それぞれ固有の方言(「方言」と表現されていることに注意して下さい。それは、孤高ののあるいは孤立した言語ではなかったということです。)を話していたと想像されます。その時代に偉大な叙事詩が生まれました。士師記5章のデボラの歌、サムエル記上2章のハンナの祈りはその一部分であった。また、言語上の共通点が多く見られる創世記49章のヤコブの祝福、出エジプト記15章紅海の歌、民数記24-25章のバラム物語の中の詩、申命記32章の歌、そして申命記33章のモーセの祝福も同様に、偉大な叙事詩を構成する部分であった。その叙事詩はエジプトからの脱出とイスラエルの勝利について述べており、一部族の伝承ではなく、民族全体の伝承と言える。言語も一部族の言語では無く、他のすべての部族の方言(言語)とも異なっている。けれども、皆等しく理解出来る。そのような詩ならではの言語で綴られていた。主題は「主の民」(士師記5章11節)であって、それはペリシテ人に対する共同作戦のため、諸部族を統合するために機能した、というのです。
つまり、諸部族の共通の歴史として語り伝えられるようになったのですが、その叙事詩が後に聖書の中に織り込まれて残された。それが最古のヘブライ語による詩とその痕跡と考えられると著者は言います

シロの聖所

ペリシテ人による脅威とともにシロの聖所における祭儀が北部諸部族を言語の上でも結びつけました。シロの聖所と祭司達が伝承の担い手となったということです。

デボラの歌から見えてくるその言語の特徴

著者はヘブライ祖語のみならず、アラム語とその歴史、フェニキアの言語についても造詣が深く、その知識を下敷きに議論しています。それで、筆者にはいささか煩雑に感じられ、能力の限界をはるかに超えていますので、大切な部分ですが大胆にカットし以下のことを紹介するにとどめたいと思います。
デボラの歌から見えてくることは、偉大な叙事詩において用いられている言語が超部族的であるがゆえに、異なる言語からの形態を取り入れることが出来、かつ、文体上の効果のために、それらを積極的に用いているということです。そこに全ての部族に理解可能なものとなった所以を見て取っています。
かつて通用していたこの詩的言語はシロにおいて全ての部族からやってくる男たちと、その意思の疎通のために、祭司職によって用いられた。つまり一つの言語(ヘブライ語)として熟成していく端緒を見ることができる、というのです。

つづく

召命感とは何

最近、改めて考えさせられている。

召命は英語でcalling、ドイツ語でberuf。これらの語に微妙な意味の違いを受けとめる人がいます。

10年ほど前に、ある会合で元日銀総裁のH氏の隣にすわった。ちょうどその頃、日本伝道会というところから伝道パンフレットが出されていて、その1つにH氏の文章が掲載されていた。ご自分の仕事を神からの召しとして受け止めているという内容だったと思う。題は「召命」。H氏にその時パンフレットを読ませていただいたと申し上げたところ、「召命」という題に、あれは私がつけたものではないと、いささか憤慨しているという口調でおっしゃられた。

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あたらしい翻訳のパイロット版

日本聖書協会があたらしい翻訳の聖書を準備していると言う話は聞いていた。そのパイロット版が世に出たようだ。ほんの一部分だが読ませてもらった。

どうも歳をとったせいか、かつてとは違って新しもの好きではなくなったようだ。興味を喚起されなかった。

聖書事業が祝されるように祈る。

ネットで結び、二箇所で同時に礼拝が?

できないでしょうか。

スマホやタブレットがあれば、プロジェクターで投影して可能ですね。Skypeやhunngoutを利用すれば良い、とある方が教えてくださったので、さっそくhungoutなるものがどういうものか、使ってみています。なるほど、出来そうです。

同時に礼拝と言っても、一方向の情報伝達ではなく、双方向伝達をセットすれば、A教会で説教者がご用にあたり、B教会ではオルガニストが奏楽し、またどなたかが司式をする。そのようにして同時に礼拝を守ることができます。礼拝後には二つの教会の短い交わりの時ももてそうです。

真剣に、取り組んでみませんか?

 

桜の舞とステファノの言葉

今週、浜松は桜が満開でした。そろそろ散り始めているでしょうか。

桜吹雪と言いますが、たくさんの花びらが舞い散るようすはなんとも言えない風情というか、絢爛かつ儚いそんな美しさがあります。

水曜日はお近くに桜の木がたくさんあるH姉さん宅で聖書を読み祈る会を持ちました。聖書の学びは使徒言行録7章44,45節です。ステファノの演説で、語の彩りに圧倒されました。桜の舞という感じです。

ステファノは最初の殉教者になりました。

アラム語

イエス・キリストはアラム語を話していたと言われます。十字架上の言葉「わが神、わが神、なにゆえ私をお見捨てになったのですか」ですが、マタイ福音書の「エリ、エリ・・・」はヘブライ語で、マルコの「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」はアラム語だと言われています。

いったいアラム語って何?と聞かれて、どのように答えて良いのかいつも戸惑うのですが、ハイム・ラビンが「ヘブライ語小史」の第3章『ヘブライ語の背景』の中で言及していますので、それを紹介します。

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続きです・・「ヘブライ語小史」3章の紹介

ハイム・ラビン「ヘブライ語小史」の3章『ヘブライ語の背景』では、聖書のヘブライ語が一つの言語として形成されるに至った、その背景について論じています。ヘブル語の成り立ちですね。多くのページが割かれています。

「ヘブライ語の属している語族が非常に多く、また広範囲にわたるということが明らかになってきた。それはハム・セム語族とか、アフリカ・アジア語族、あるいはエルトゥラー語族など、ざまざまな仕方で呼ばれる。」

エリュトゥラー語族というのは聞き慣れない表現ですが、紅海に由来する言葉で、ちょうど紅海で区切られる広大な二つの地域・語族全般を言い表す表現のようです。

 

こう書き始めて、ヘブライ語と同じ祖語を持っていたり、影響を与え合ってきたであろう関連する語族は広範囲であると語り、

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10年たつと?、と

東京神学大学の入学式に出席してきました。20数名の入学者だったかと思います。少し平均年齢が高いように思われました。

さて、久しぶりに母校に足を踏み入れて、なぜか思い出したことがあります。私が在学中のことですが、故北森嘉蔵教授と乗り合わせたBusの中で父が交わした会話です。

「先生、うちの息子は大丈夫でしょうか」
「・・・東京神学大学では・・・
卒業して10年たって実力が発揮される・・・そのような教育をしております。」

家に帰ってきた父は、可笑しかったのでしょう、笑いながら母に話しておりました。45年ほど前のことです。

さてさて、すでに、とっくに、ゆうに、10年は過ぎています・・・・

22世紀に向かう84歳

今日、22世紀の教会を展望して準備を進めなければいけませんね、と84歳のご老人にはっぱをかけられました。

思い出すのは教団21の立ち上げの時です。20年以上前のことです。高く厚い壁が立ちはだかっており、それを憂う者たちはというと、憂いを共有しながらも戦いは別々、いがみ合うという状況でした。

当時の若手、50歳以下の牧師たちの多くが、地方で伝道していましたが、その状況を打破したいと、高く厚い壁を目の前にしているとしても、祈りをあわせて協力し、21世紀の健やかな教団を考えて準備していこうと教団21を立ち上げたのでした。

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ヘブライ語文字入力

生まれて初めて、PC(windows)でキーボードからヘブライ語文字を入力しました。ちゃんと右から左に向かって表示してくれました。ただし、母音の打ち方が分かりません。打てないのでしょうか・・・

ちなみに、最初に打った言葉は הלך ハーラフ「歩く、行く」です。アブラムがアブラハムに、サライがサラにと名前が変わったことについて説明するためでした。二人とも ה (へー)の文字が加わったのでした。創世記17章ですね。

(ちなみに、Mac はやはり良いですね。これはMacで打った הָלַךְ です。)

第二神殿崩壊(紀元70年)後のヘブライ語は

(ハイム・ラビン「ヘブライ語小史」2章『ヘブライ語の発展』に書かれていることを少しご紹介します。)

一般に、ヘブライ語は紀元70年以後は「死語」となり、専ら祈りの言語として役割を果たしてきた、つまり、ヘブライ語で書かれた書物もいくらかあったものの、新に付け加えられたものは何もなく、ずっと古い状態のままだったと考えられています。この見解は下記の点で間違っています。

1、ヘブライ語が話されなくなったというのは本当ですが、文学活動は大変盛んでした。70-1948年に書かれた書物の数は数万冊。

2,語彙が豊かになるのは話言葉においてではなく、主として書き言葉においてです。新に増し加わった語彙は何万語に及びます。

ラビンは、この章で、ヘブライ語は話し言葉としては使われなくなったけれども、他の言語と同じように各時代に対応して大きく発展してきたと記し、その様子を素描し、紹介しています。

ウィル・ウィリモンの呼びかけ

  1. We will pray for President-elect Trump, elected officials, our nation, our churches, and each other.
  2. Rooted in the teachings of Jesus and the prophets, we will tell the truth about the world around us, and we will speak up for those who have been marginalized and taken advantage of.
  3. We will actively resist the temptation to overlook or normalize values, speech, and behavior that are in conflict with what Scripture calls us to.
  4. In the name of Jesus, we call President-elect Trump to repentance for dishonoring the image of God in others.
  5. We will fix our eyes on Jesus and, by the power of the Holy Spirit, redouble our efforts to honor the image of God in all people and to love all our neighbors as ourselves.

正確にはウィルモンも呼びかけ人に加わっているところのアピールです。
Appeal to Christians Regarding President-Elect Donald Trump

アメリカ大統領の宗教的役割―「これまで」と「これから」-

という題で、講演をうかがうことになりました。

日本基督教団東海教区西静分区では牧師会が、東京神学大学名誉教授・棚村重行先生と、奥さまで東京女子大大学教授の棚村惠子先生をお迎えして、研究会、講演会を行うこととなりました。

わたしの教会では、3月5日(日)午後2時30分より「講演と懇談」の会を行います。主たる講演は惠子先生による上聴き主題でお話しいただきます。

以下のようなご講演についてのガイダンスをいただきました。

アメリカではトランプ大統領が就任しました。キリスト教国アメリカでは、これまでは大統領が国民を一つにする宗教的役割を果たしてきました。しかし、新大統領の登場は、アメリカを分断するのではと危惧されています。大統領の宗教的役割について歴史を踏まえてお話したいと思います。

棚村惠子先生のことを紹介します。

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目には目を、歯には歯を

死刑廃止論議をめぐるシンポジウムのようなことが行われたのでしょうか。ニュースに取り上げられていました。難しい問題ですね。それを支えるために整えなければならない多くのことがあるように思いますが、死刑廃止実現への努力をすることが大切ではないかと私は考えています。

それはさておき、そのニュースの中で「目には目を、歯には歯を」という言葉を耳にしました。死刑制度の根底にある精神を表現する言葉となっているのでしょうか。復讐を是認し、それを満足させるための言葉として、一般には受け取られているようです。

しかし、そうではありませんね。元々は、際限の無い、雪だるまのように膨れてゆく復讐と怒りの連鎖を止めるための法として、定められたものですね。ハムラビ法典しかり、旧約聖書しかりです。「目には目で、歯には歯で」というのが正しい翻訳のようです。イエスさまはこれを受けて「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」と言われました。私にはとうてい実行不可能なことですが、「目には目で、歯には歯で」という法が向かおうとしている方向を明確に示しておられます。

死刑制度の是非を問うとき、私たちがどのような倫理に立脚して社会を培おうとしているのか、そして、その土台となる宗教が良きもの(深みのあるもの)として存在しているかどうかが問われているように思われます。

牧師のブログをはじめる

教会のHPをリニューアルしたついでに、牧師のブログをはじめました。いわば、公式のブログです、教会に関連することも書き込むことになります。教会HPから入ることができます。

このブログは私的な気楽なものですが、牧師のブログとなるとそうはいきません。緊張しています。

それにしても、ブログはなんのためにあるのかというと、私の場合は日記代わりで、思い出を書きとどめておくというのがおもな目的となっています。教会ブログは、同じように、教会日記代わりということになるでしょうか。

日記と言っても、書けることと書けないこととがあります。書けないことのほうが多いかも知れません。それでも、教会と教会をとりまく様々なことを牧師の目をとおして見たり、聞いたり、感じたり、考えたりしたことを書きとどめることができたら良いかなと思っています。

教会のHPはこちら、牧師のブログはこちらです。

ネットで共同作業ができるのに・・・

ネット上で情報を共有したり、共同で何らかの作業に取り組んだり、協議や議論ができるだけではなくて、上手に整理しまとめていくことができる、そんなツールが無料で提供されているのに、牧師の世界ではほとんど使われていない。

理由は簡単。やる気がないのである。

ソウルに

今週、静岡教会での静岡地区の東京神学大学後援会の会議を終えてソウルに向かいます。

このたびのソウル行きにはいろいろな意味がありますが、一番大きなことは、ナグネ宣教師の派遣期間の更新に伴って、大韓イエス教長老会総会(本部)、長老会神学大学(ナグネ宣教師が神学教師として奉職している神学校)、そして、大韓イエス教長老会セムナン教会をお訪ねすることです。教団議長や世界宣教委員長などと共にまいります。ナグネ宣教師の派遣をとおして日韓の宣教協力が強められていますが、さらにその関係を発展していくために必要なことです。

さらに、私は昨年セムナン教会からシニアス合唱団をお迎えしましたので、その感謝をお伝えしたいと思っております。また、セムナン教会日本語礼拝で説教をいたします。この日本語礼拝の前身は日本語聖書研究会でした。もう10数年まえですが、その当初から交わりをいただいておりましたので、特別な思いを持っています。

ことに、日本語聖書研究会のメンバーであった延世大学名誉教授で世界改革派教会協議会の副議長を長くつとめられたセムナン教会の廬長老(故人となられました)が特別な配慮をしてくださり、今日、日韓のさまざまな青年交流のきっかけを作ってくださいました。その最初の日韓青年交流の折に、私たち日本からの訪問者を通訳として迎えてくださった当時の青年たちが、今日まで変わらずに交流を支え、また、ナグネ宣教師の働きを支援する「ナグネ会」のソウル支部の柱となってくださっています。日本語礼拝のメンバーでもあります。

そして、なによりもセムナン教会が神学大学博士課程で学んでおられた当時からナグネ宣教師を支援してくださっています。ことにイ・スヨン牧師のご厚意とご指導がありました。それでナグネ宣教師の神学大学での奉仕の道が開かれました。そのイ牧師は今年度で隠退なさいます。ナグネ宣教師の派遣期間延長に関係して大仕事があった(ある)のですが、最後の仕上げを共にしてくださっています。

あれやこれやで、一週間ほどソウルに行ってまいります。

レストラン・テラス

教区の農村伝道専門委員会に出席してきました。

会議の場所はレストラン・テラス。山梨県北杜市白州町白須というところにあります。田園風景に囲まれた静かな場所です。食事のために、誰がいったいこんな辺鄙なところまで来るのだろうかと思うような所ですが、ところがところが、そのような場所だからこそいただける食事があるということを知りました。

近くでできる厳選された食材を用いた、美味しい料理をいただけるのです。有機農法で作られたここだけで味わえる野菜とお肉とハムがお皿いっぱいに盛られます。一度は訪ねてみてください。景色も良いし、満足しますよ。

 

 

日本伝道協議会に出席して

6月6,7日に東京神学大学を会場に行われた日本伝道協議会に、久しぶりに、出席しました。

この協議会は、教団紛争を乗り越えて伝道する教団形成のために、協議していこうとの志をもって始められました。今回で26回を迎えました。

「伝道の最前線-危機からの再生-」が主題でした。小友聡教授による主題講演は、いつにも増して、情熱的で感銘を受けました。いくつかの具体的な提言をされました。わたくしは共感しました。ただ、残念だったのは、協議会で十分に事柄を深めることは出来なかったように思いました。

シンポジウムが行われ、4つの発題とそれぞれにレスポンスがあり、発題に対応して分科会が4つ設置されました。私は第一分科会「伝道の危機の中から」に参加しました。感想は控えますが、危機を転換点と受けとめ、足が地に着く、地道な取り組みが始められると良いと思いました。

協議の中でインターネットをどのように用いるかという話題も上がりましたが、教会はまだまだですね。真剣には考えたことがないというのが現状です。インターネットを用いて日常的に協議する手立てをもつようになれば、今回取り上げたような大切な主題をより深めることが出来るようになると思います・・・・・やる気が肝要ですね。

Swayで説教作成

MicrosoftのSwayは、牧師が説教を作る(原稿を書く)うえで有用なツールではないかと感じています。

Swayは小さなカードを何枚も並べて一つのストーリーを作成するようになっています。そして、そのカードを並び替えることができますし、重要なカードを大きな文字で表示することができます。

説教はセンテンスが長くなりすぎないほうが良いと思います。一つの小さなカードに納まるぐらいの長さがちょうと良いようです。その点で、Swayのカードは有効です。

また、いくつかのカードの連なり、その連なりが大切ですが、カードを並び替えることができるのも良いです。

そして、説教には段落がありますが、段落ごとにティール・ザーゲと呼ばれるまとめの句ができます。まとめの句を目標にして段落ごとに論述・言葉の流れを生み出していくと言い換えても良いかも知れません。そのまとめ句となるカードは大きな文字で表示することによって、説教作成者にとっても説教が見やすくなります。

明後日の説教準備をしながらSwayで作品を作りましたが、作りながらそう思いました。

 

 

キリシタン洞窟礼拝堂

大分県竹田市にギリシタン洞窟礼拝堂があります。キリシタン禁教令、バテレン追放令などで、ヨーロッパから来ていた宣教師たちが日本から退去させられました。200年にも及ぶ潜伏キリシタンの時代を迎えます。

洞窟礼拝堂は、その時代に追放から逃れて密かに竹田市に残ったバテレンが住居と礼拝の場所としたところです。竹田にはキリシタンだった家老、古田重治がおり、弾圧時代にキリシタンを隠匿しました。一人日本に残ったバテレンもその一人です。

洞窟礼拝堂は古田重治邸の近くにあります。バテレンはたったひとりで、いったい何をしていたのでしょうか。ミサをあげていたのでした。それが、バテレンのなすべき使命だったからです。その使命に生き、死にました。意味深いことであったと思います。

ちなみに、弾圧時代に隠れてカトリックの信仰を持ち続けた人たちを潜伏キリシタンと呼びます。隠れキリシタンという言い方が一般的に使われますが、正確には潜伏キリシタンです。隠れキリシタンとは、禁教令が解かれたときにカトリック教会に復帰せず、弾圧時代に独特な形態をとるようになった独自の信仰を維持することを選びとった人たちのことを指します。長崎などでは厳格に使い分けられていますね。

iPad と 聖霊降臨日

もうすっかり古いものとなってしまった初代iPad miniをスケジュール管理とメモに特化して使うことにしました。スケジュールはサイボウズLiveのサイカルで、メモはEvernoteでと。通信は0円SIMです。

それで、さっそくEvernoteにiPadの音声入力を使って文章を入力してみました。びっくりです。すごく日本語文字変換が優秀なのです。簡単に入力できて、精度が高いものはWindowsタブレットや、Androidスマホには搭載されたいません。すごいと思いました。

さて、ここからが本論というか、今日、書きたいことです。


iPadの音声入力はすばらしいですね。「明日は日曜日、礼拝があります。」という文もちゃんと文字変換してくれました。これで、通訳アプリの精度がさらに良くなれば、嬉しい限りです。

わたしの説教も教会の皆さんの心に変換入力されれば良いのですが・・・・

明日は、聖霊降臨日です、


注)最後が  。ではなく 、 で終わっています。ご注意ください。