接ぎ木の譬

説教の準備をしながら、なぜロマ書11章で、接ぎ木が譬えとして用いられているのか、良く考えてみなければならない、と思った。

接ぎ木によって一本のオリーブの木を育てている人の話しなのに、切り取られた、あるいは接木された枝にまず関心が集中してしまう。

そんな自分に気がづいた。ミスリーディングに繋がる。

ここでも主語は神なのだ。