牧師のツールとしてのデジタル・デバイスは? の続きです。
タブレットであるiPadについて
いまさら説明する必要のないことですが、一応確認のために書くことにします。
iPadはタブレットPCです。タブレットとは一枚の板状のPCのことで、薄くて軽量、携帯性に優れています。
携帯性といえばスマホですが、タブレットは数年前までは音声通話機能の無い液晶画面が大きなスマホのようなものと説明されました。実際、Apple社独自の同じiOSで動いていましたから機能面ではiPhoneとなんら変わりがありませんでした。。ところが4年近く前に専用ペンでの入力が可能になり、また1年前には同じiOSをベースとしながらも、iPad専用のiPadOSがリリースされて、使い勝手と機能性が飛躍的に向上し、今は限りなくPCに近づいてきていると言って良いと思います。そして、もちろんPCには及びませんが、iPadならではの固性があって、ある部分ではPCを凌駕しています。
PCよりも劣っている点
1、周辺機器の利用に制約がある。つまり拡張性がほとんど無い。
2、iPad用に提供される小さなアプリしか動かない。
以上に集約されるかと思います。つまり、iPadにはPCでできることの一部分しか実行する能力がないということです。その代わりに携帯性と機動性を獲得していると言えましょう。
つまり、起動が早く、パーソナルユーズに適し、ネットによるコミュニケーションツールとして使い勝手が良く、加えて、専用ペンによる入力書き込みが容易にできるという点は特質されるかと思います。
牧師のツールとしてはPCよりもiPad
牧師がPCなどのデジタルツールを使い始めたのは37、8年前のことです。ワープロソフトを使って文書データを作成するというのがおもな使い道でした。紙を無駄にせず、綺麗な印刷物を作り、データの保存と再利用が可能となりました。
また、英語圏で聖書研究用のソフトウェアが開発されました。辞書やコンコルダンス等がコラボレーションされて提供されたのでした。
以上の文書作成による情報提供と知的情報の収集と利用という2点が、形態や内容や質に変化があってもデジタルツールの利用目的であることに今も変わりがありません。
形態に関してはインターネットの普及によって情報伝達手段が大きく変わりました。メールやSNS,、ホームページやブログ、YouTube等が身近なものとなっています。文字情報に加えて描画や動画が用いられます。つまりプレゼンテーションツールの利用が必須となってきています。
以上のようなことはほぼiPadで可能ですから、携帯性機動性に優れたiPadが牧師にとってはPCよりも使い勝手が良いと言えましょう。
もう一つ付け加えなくてはなりません。iPadでは専用ペンによる入力書き込みが容易であるという点に関してです。これは意外と重大です。というのは、PCを使い始めた時、大袈裟な言い方ですが、ペンを放棄しました。手書きからキーボードに、紙からディスプレーにと変わりました。この変化は単にツールが変わったということ以上のことでした。思考や記憶の手順の変更を余儀なくされたのでした。
私たちは頭の中のキャンパスを利用して考えを構想したり、整理したり、まとめたりします。その手助けのためにペンと紙が用いられてきました。しかし、それはPCに置き換わらないのでした。
その証拠に紙の手帳やカレンダーは廃れることなかったし、ペンと紙を手放すことはありませんでした。ペンと紙で構想を練ってからキーボードでそれを順序よく打ち込むというのが慣しとなっているのではないかと思います。
ところがiPadはPCには置き換わらなかった機能を取り込んだのです。描画できるというのもその一つですが、メモやノートとして使うことができるようになりました。しかも、それらがデジタル化され記録、共有、連携されます。これは大きなことで、牧師にとってはPCよりもiPadという決定的な理由と言えましょう。
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続く