コロナ禍の日曜日

コロナ禍で教会の礼拝に出席できない日曜日をどのようにお過ごしですか?

安息日として過ごすことをお勧めします。

今は日曜日もすっかり世俗化してしまいましたが、欧米ではかつて、社会全体で日曜日を安息日として過ごす習慣がありました。日曜日にはほとんどの商店は店を閉じ、人々は教会に集う他は家で過ごすのが一般的でした。

25年ほど前、米国ミシガン州のあるご家庭で日曜日を挟んで泊めていただいたことがありました。グランドラピッツという街の郊外です。一家は敬虔なクリスチャンで、日曜日にはこんな過ごし方をしておられました

朝8時30分からの教会の礼拝に出席します。礼拝は1時間ほど。礼拝後に短いコーヒータイムがあり、挨拶を交わして帰宅。昼食を皆で準備します。御馳走です。食前に一家の主人が聖書を読み祈ります。その日は奥さんが短い奨励をなさいました。楽しく食事と団欒です。

食後は、みなそれぞれがゆったりとした時間を家の中で過ごします。オリンピックの開催期間中でしたがテレビはスイッチオフです。新聞もその日は読みません。何をしているかと言うと聖書を読んだり読書をしたり、庭の手入れをしたりして過ごしておられました。夕方、何かしたいか、と訊ねてくれたので、ショッピングモールに行きたいと答えたら、日曜日は買い物をしない、とおっしゃって、でも連れて行ってあげると言ってくれました。ショッピングモールには行かないんですね普通は。モールはそれなりに人がいました。お土産を買って戻りましたが、夜もまったりと過ごしました。

安息日としての日曜日を過ごしておられるな、と感じました。

安息日は休む日です。一家の団欒がそこにはあり、霊的な静寂さ、そして、休むことで神に栄光を帰する安らぎがありました。

私たちは日曜日をどう過ごすか、真似をすることはありませんが、良い習慣を身につけて行きたいと思います。コロナ禍の今はそのチャンスだと思うのです。