「ヘブライ語小史」紹介第4章その1のつづき

偉大な叙事詩において古典ヘブライ語へといたる端緒が拓かれましたが、その後の推移をラビンはどう見ているのでしょうか。それがここでのテーマです。

その1のつづき

先に記した『偉大な叙事詩』とその詩的言語は、ペリシテ人の脅威に直面したイスラエル諸部族(北諸部族)の統一に役立ち、サウル王の時代を経てダビデ・ソロモンの時代には全イスラエルの共通の言語になっていった。『古典ヘブライ語』の成立である。

つまり以下のような経緯が観察されるとラビンは言います。

南のユダ族出身のダビデは北諸部族に対する力を手中におさめ、南北統一を果たし、エルサレム征服して首都としました。ダビデは全イスラエル部族から選び出した兵士をエルサレムに住まわせ、全ての部族の成員が協力して任務を果たす軍隊を組織しました。ソロモンはエルサレムに神殿を建て、全国から祭司とレビ人を連れてきて神殿に仕えさせたのでした。神殿は巡礼祭および残りの年に行われる個人的な犠牲のためにやって来る全ての地域の人々を魅惑したことでしょう。神殿と宮廷の周辺には、書記、知恵の教師、そして預言者といった知識階級が現れました。。彼らは異なる部族の出身者から構成されていただけでなく、その教えがあらゆる部族に届き、そして全ての者に等しく良く理解されるような仕方で聞かれるようにと配慮したにちがいないのです。以上のようなことに加えて、言語の発展の観点から見て、最も重要なことはソロモンが全土にくまなく文官を置いたことです。そのことによって、あらゆる人々が彼らと接するようになりました。また、強制労働の義務であらゆる地方の人夫たちが彼らの居住地以外で、国の他の地方出身の男たちと一緒に働きました。

つまり、高度に中央集権化された政体は統一された言語を必要としたのです。ラビンは申します。「行政には王国の全ての地域において障害なく理解され、また役人の誰もが速やかに学ぶことができる書き言葉と話し言葉が必要であった。さらに一方では、複雑な行政、強制労働、神殿祭儀そして列王記上10章に述べられている、急速に伸びていく外国との通商などに関連のある多数の新しい概念を、効果的に表現するための申し分なく豊かで、そして採用し得るそれらの言葉がなければならなかった。」。そして、さらに、「この言葉は最初異なる部族出身の人々の接触により、首都特に宮廷において生み出されたものとおもわれる。そしてさらに、首都ならびに宮廷の言語としての威信によって、エルサレムから送り出される役人たちに運ばれて広がっていったと考えられる。」と述べて、ひとたびこの新しい共通の言語が、公式の記録の中で使われ始めると、当然のこととして宮廷の年代記の著者たちにも使われるようになり、したがって一部はこのような年代記からの抜粋に基づいている列王記も、彼らの言語を反映していることは疑い得ない。
この言語の形態がダビデとソロモンのもとでの民族の統一に帰せられる(前998ー926年)第一神殿時代の古典ヘブライ語である。そうラビンは考えています。

つづく。

ラビンはこの言語の際立った特徴を二つあげていますが、しばらくお待ちください。