アラム語

イエス・キリストはアラム語を話していたと言われます。十字架上の言葉「わが神、わが神、なにゆえ私をお見捨てになったのですか」ですが、マタイ福音書の「エリ、エリ・・・」はヘブライ語で、マルコの「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」はアラム語だと言われています。

いったいアラム語って何?と聞かれて、どのように答えて良いのかいつも戸惑うのですが、ハイム・ラビンが「ヘブライ語小史」の第3章『ヘブライ語の背景』の中で言及していますので、それを紹介します。

ラビンは、セム諸語と呼ばれるハム・セム語族(現在、一般に用いられている「アフロ・アジア語族」です)を5つの語派に分類し、その一つとしてアラム語を数えています。それは記録として残されているものとしては三番目に古い語派であると言います。最古のものは紀元前3000年には数多くの記録が残っているアッカド語(バビロニア語、アッシリア語)、次は前2000年紀中期のカナン語、そして前9世紀のシリアの碑文の中にあらわれるアラム語です。ちなみに残る二つは、紀元前一千年紀半ばのアラビア語と、どの語派にも属さずその他に分類されるウガリット語やアモリ語です。これらの語派から大まかですが世界史を辿ることができましょう。

アラム語は現在確認できるものとして最も古い記録が紀元前9世紀のシリアの碑文に残されているようです。もちろんそれ以前に出現しており、アラビア半島に由来すると言われています。そして、徐々にアッカド語の領域に浸透していき、最初は話言葉としてそれにとってかわり、後には書き言葉として用いられるようになりました。それは、アッシリアやバビロニアやペルシャなどが大国として中近東一帯の覇権を競うようになる時代です。そして、さらに後代になるとカナン諸語(ヘブライ語はその中に数えられます)を同じように追い出してしまいます。さらに、紀元前5世紀には南部エジプトでも用いられるようになりました。

ヘブライ人がアラム語に接するのは、上記の大国との接触とそれらによる被支配によってでありましょう。紀元前6世紀のバビロン捕囚はおおきな契機となったと思われます。さらに歴史が続きます。ラビンはアラム語のさまざまな方言が異なる時代にユダヤ人に用いられたと記しています。

聖書アラム語、各種のタルグムのアラム語、バビロニアやパレスティナやガリラヤそれぞれのタルムードのアラム語、ゾハール(ユダヤ教の神秘思想の一つ)の言語として(13世紀スペイン)、そして、北イラクとアゼルバイジャン出身の現在のユダヤ人が各種のアラム語を話しているのだそうです。

しかし、アラム語派の中心となるのはシリア語で(2-13世紀)、多くのキリスト教文献を有し、南部イラクのマンダ語、グノーシス派の文献に用いられたのでした。