祖父は初代のキリスト者で、伝道者でした。私は3代目のキリスト者で、同じく伝道者です。
祖父は金沢の武士の家系に育ち、日露戦争直後にキリスト者となりました。祈るとき、数珠を手にしているかのように両手を合わせて祈っていました。日蓮宗ですが、幼いときから身についたことだったのでしょう。堅物で、頑固、一筋の歩みを貫く人でした。私はぐうたらで、優柔不断、寄り道するタイプです。3代でなんとか・・・という代表的な例と言えましょう。
その祖父は戦中のこと、北海道札幌におり、父親を戦場へと駆り出された子どもたちのために保育所を始めました。札幌で最初の保育所でした。決して保守的な人ではないのでしょう。教団合同時、札幌北一条教会の小野寺林蔵牧師が教区長を務めましたが、祖父は書記として仕え、教区内を奔走しました。(私の母は、若い伝道者としてその当時の小野村林蔵牧師に接していますが、伝道者として一番尊敬していると語っていました。)
祖父には一つの逸話があります。電話が一般に普及し始めた頃のことです。誰かが教会にも電話を入れたらどうですかと奨めてくださった時です。「教会に電話は必要ありません。歩いて訪ねて行くべきです。」と言ってせっかくの奨めを断固として断ったのでした。
今、祖父が生きており、私の歳であれば、きっと「パソコンとインターネットを拒否していることでしょう。」私はというと、30代の時、30数年前ですが、パソコンを使い始め、インターネットの世界にどっぷりとつかり、できることなら活用したいと、一生懸命?考えています。
人間としての重さはとうてい及びません。堅物、頑固、一筋の歩み、その尊さを理解し憧れながらも、私は祖父のように歩むことができません。体重は私のほうが遙かに重いのですが。
その祖父が、召される数年前、愛用していた楽器を私に譲ってくれました。私は小学生でしたが、その私に1時間ほどその楽器の由来をとうとうと話してくれてから、おもむろに譲ってくれたのでした。捨てるわけにはいきません。今も持っています。祖父の形見です。
その祖父は、実は、54年前、浜松で召されました。