思い出した

説教塾という勉強グループがある。もう20年前になるだろうか。八王子セミナーハウスで、例のごとく泊まりがけで説教セミナーが開かれた。そのとき、大学生のグループがいくつかセミナーを行っており、、掲示板に書かれていた我々の「説教塾」という名称に、首をかしげたり、クスクス笑ったりと、不思議そうに眺めていたのを思います。

お小言をいうお説教のことを思い浮かべて、そのための塾があるなんで信じられないという反応だった。なるほど、一般の人には何のことか分からないだろう。

さて、浜松に越してきて、静岡地区の説教塾に参加するようになった。説教塾の集いに出席するのは10数年ぶりのことだ。火曜日にその会があり、ピンチヒッターで説教分析のお役をはたした。説教分析は、ドイツのハイデルベルグ大学の実践神学グループが30年ほど前に提唱した説教学上の方法論で、良い説教のその良さを解明しようとするものだったが、今日、説教塾では説教向上のための方法論として用いられている。

かつて、優れた教育者であった某先生が、学校教育の場での授業分析の話をなさって、分析はあまり効果がないと仰っていたのを思い出す。経験からそう仰っておられるのであるが、分析が必ずしも授業の創意工夫につながらなかったということだと思うが、はたして説教分析はどうか。

今のところ、わたしも効果については懐疑的だ。ただし、分析作業を手がかりに、説教の諸問題について話あえるのも事実であるから、捨てたものでもないのかも知れない。