その時、

牧師が教会を辞することを決め、役員会に申し出るということは、重大事項です。そして、その時の、たった一つの理由は、それが召命に応答する歩みであるとの確信が与えられたということです。

これは牧師の召命に関わることで、教会はそのことを受け止めていただく他はありません。また、辞意を表明して、それを翻すということもあってはなりません。そう思います。

牧師は牧師として教会に仕え、教会の徳が高められることを願って務めにあたっています。辞任をするときも同じです。もちろん、個教会のことだけではなく全体教会のことも牧師の責任の範囲ですから、そのことも考慮に含まれます。その上で、辞任が召命に応答する歩みであるとの確信が与えられて、その旨を教会に申し出ます。

その時、さまざまなことが考慮されます。公にできる理由もありますし、それが、本筋ですが、公には決してしない理由も内在します。一切を神に委ね、与えられた務めを終えて、教会を離れます。

辞任する牧師の心境をいろいろと詮索する人がおられます。その多くは人間的な基準から判断して、牧師はあのこと、このことで、悩まされていたのではないかとか、教会や教会員に対して不満が大きくなったのではないか、などという種類のものです。もちろん、牧師も一人の人間ですし、教会も人間の集団ですから、その中で様々な思いを抱くものです。それは、日々の歩みにおいて常なることです。しかし、分かっていただきたいことは、牧師は自分の誉や名誉を考えて物事を判断しません。そのような誘惑にかられることはありますが、そうであってはならないのです。繰り返しますが、教会の徳が高められるかどうかということです。

そのうえで、牧師として決断にいたったこと。それは召命に応答する歩みなのだということを受け止めていただきたいのです。時に、牧師の身勝手と感じることもあるかも知れません。私たちのことを見捨てたのかと思うこともあるかも知れません。そのような人間的な想いを抱くのは当然のことかも知れませんが、それ以上のことが、教会にはあるのです。

それ以上のことに、教会人は仕えているのだと思います。

こんなことを口にしたことはないのです、言いたい気分になったので書きました。失礼しました。